博多から、壱岐、対馬経由釜山へ(比田勝)

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比田勝地区周辺は人口1500人程度の過疎の町。そこに出国者も含めると、多い日で3千人前後の韓国人が行き来するため、既存の店舗や施設ではとてもさばききれない。韓国人観光客向けの新規店舗を開業しても、地元には働き手がなく、韓国語を話せる人材も皆無に等しい。
<2018年04月20日 西日本新聞>

ただの漁村だった比田勝。国内のフェリーは僅かに1日1便(片道夜行)。対馬の中心地厳原からバスで2時間半。そんな比田勝と釜山を結ぶ国際航路をJR九州が開設以来、韓国の会社も乗り入れ、今や観光客の殆どが韓国人という不思議な街が出来てしまった。

バスが遅れたので、韓国展望台に向かうバスに乗り継げなかった。仕方なく、バス会社から教えてもらったガソリンスタンドに向かう。レンタカーを借りに行ったところ、日本語がうまく通なかったのは驚きだった。

空車は無かった。そこで、レンタサイクルに切り替えた。観光案内地図上は花屋だが、現在はレンタサイクルを営む店に行った。

無事に電動アシスト付の自転車を借りる事が出来た。しかし、貰った地図はハングルが中心のもの・・・。分かりにくい。店主は日本人のようだったが、韓国語で接客していた。ここも韓国ファーストだった。
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港に行くと、多くの観光バス、そして港の前のコンビには韓国人観光客で溢れ、かなりショックを受けた。小さい港町は、これだけの観光客を受け入れるには小さすぎるが、それゆえ韓国人の人口密度が濃く感じられた。少なくとも観光客に日本人は皆無に感じた。

自転車で付近の漁村を走ると、何処にでもある日本の漁村の風景だが、レンタサイクルで走っている人が多く、それが不思議な光景だった。そんな集落を通って、海沿いを半時計周りに走り、韓国展望台にやってきた。
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韓国まで49.5㎞。晴れていれば釜山の街並みが見えるとの事。夜景もよく見えるらしい・・・。今日は少しモヤがかかっていて、残念ながら対岸は見えなかった。地理的に、釜山から大勢の観光客が訪れるのも無理はない。

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韓国展望台から山道を歩くと、巨大な穴が現れる。砲台の跡である。ここには、航空母艦に改造された戦艦赤城の主砲が備え付けられていた。壱岐や他の対馬の砲台同様、第二次世界大戦では実戦で使われることはなかった。
砲台は山の上に備え付けられていたが、その真下には巨大地下迷路のような設備跡が残っている。ボタンを押すと30分間電気がついて中を探索する事が出来る。もし、前の人が点灯した照明を見て中に入り、途中で消えたらどうなるのか・・・怖いような、危険な気もするが、とにかく入ってみる。ここにはハングルの案内が無かった。入り口で帰ろうとしていた韓国人観光客が私の後から中に入ってきた。

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投宿してから街に出てみる。ちなみに、対馬交通のバスの運転士さんによると、最近はで民宿も韓国人経営のところが多いので、日本人が泊まるところは限られているとか・・・。

まだ18時だったが、先ほどまでの喧騒が嘘のように静かだった。韓国に戻る船が出てしまうと、比田勝は昔の静かな漁村に戻るのだろうか。コンビニも18時閉店・・・。

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宿で食事してから街に出てみる。居酒屋など食事できところが多かったし、どこも賑わっていたので、雰囲気を知りたかったのである。満腹ではあったが、とりあえず居酒屋に入ってみた。予想通り、殆どが韓国人で、メニューも当然、ハングルに対応されていた。若い人が接客していたが、日本人なのか韓国人なのかはわからなかった。すし屋にいたっては夜にも関わらず行列が出来ていた。

翌朝、韓国からの船が来る前に街を彷徨う。
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赤い鳥居をくぐり、金比羅宮・恵比寿宮に行く。そのまま山道を行くと山頂に出る。途中で、比田勝の港が一望できる所もあった。何故かお地蔵さんが沢山あった。

国際ターミナルの反対側を歩くと、街外れに国内ターミナルがある。1日、1往復しか来ない国内便はここに到着する。国際ターミナルが街に近いのに比べ、国内ターミナルは街外れ、しかもかなり遠い。網代という集落の方が近いのでは・・・。比田勝は韓国からの船で成り立っているのがよくわかる。

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最後は網代の集落にある「網代の漣痕」を見る。「さざなみの化石」と言う太古・地質時代の水流の痕だそうだ。

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比田勝・・・・正直何も無い。港には免税店もあるが、規模もそれほどではない。大勢の韓国人はここで何をするのだろうか・・・。


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